倉橋香衣はどんな事故で車椅子に?ラグビーの紅一点でポジティブ

スポーツ選手
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8月24日から9月5日まで東京パラリンピックが開催されます。

どんな競技があるのかと思いチェックしていたら、車いすラグビーが男女混合で、チームメンバーに女性がひとりいることを知りました。

倉橋香衣さんという笑顔が素敵な女性でした。

どうして車いすになったのか、気になったので調べてみたら精神的な強さを持っているとても魅力的な女性だったのでお伝えしたいと思いました。

今回は「倉橋香衣はどんな事故で車椅子に?ラグビーの紅一点でポジティブ」と題して、東京パラリンピックに出場する車いすラグビーのメンバー倉橋香衣さんが車いすになった事故について、またポジティブな性格についても記していきます。

倉橋香衣はどんな事故で車椅子に?

倉橋香衣さんは小さいころから活発で、母親の勧めで小学一年生から高校3年まで体操クラブに通っていました。

やがて教師を目指すようになり、埼玉の立教大教育学部に進学してそこでトランポリン部へ入部しました。
しかし、3年生で出場した大会の決勝前の練習のときに事故が起きてしまいました。

トランポリンで背中から着地する技をしようとして失敗。頭から落下してしまいました。

病院に運ばれ、レントゲンを撮った結果を、実家の神戸から駆け付けた母親に告げられます。七つある首の骨の、五番目が脱臼骨折しているため、すぐに手術が必要。しかし首から下は動かすことができなくなるだろうと医師から言われました。

母親は「自分が体操を勧めたせい」と自分を責めるので、倉橋さんは「体操をやってたから首が太く丈夫だったから生き延びた」と母親を励ましたそうです。

サク
サク
精神がとても強い女性ですね。

自分がもし突然、首から下が動かせなくなると言われたら平静でいられなくなると思うし、誰かを気遣ったり励ましたりする余裕があるだろうかと考えます。

でも、倉橋さんの笑顔を見ていると、車いすを使ってはいても自由に動き回れることの嬉しさを感じていることが伝わってきて見ているほうも嬉しくなります。

ラグビーの紅一点でポジティブ

事故にあったあとの倉橋さんは心が折れることもなく、常に前向きでした。

倉橋さん本人は「なってしまったものはしかたがない」といった感じで「首の骨が折れた」と聞いた時点ですでに車いすを覚悟したそうです。

絶望に浸るのではなく現時点での自分にできることをやり、一歩ずつ進んできて現在の倉橋さんがいるんですね。

支えになったのは、大学の友達が毎日のように病院を訪ねて励ましてくれたことです。

倉橋さんは自助具を使ってペンを持ち、お礼の手紙を書いて渡しました。

大学に戻りたいとの強い希望をもっていた倉橋さんはリハビリを根気よく続け、やがて自立生活訓練センターに移ります。そこで復学の準備をしていたときにセンターの入所者から誘われて、初めて車いすラグビーに出会います。

車いすでぶつかる競技はとても激しく「マーダーボール(殺人球技)」とも呼ばれるとか。

しかし、倉橋さんはそれを見て「自分もあれに乗りたい」と思ったそうです。

サク
サク
怪我するのが怖いとか思いそうなのに

「ぶつかるのが本当に楽しくて」と言っているように、屈強な男子と、しかも車いすごとぶつかるのはとても怖いように思いますが恐怖心などないようです。

とても楽しそうで、満面の笑顔がとても魅力的な女性だと思いました。

 

 

パラリンピックでは、ぜひ倉橋香衣さんの活躍を応援したいと思います!

倉橋香衣はどんな事故で車椅子に?のまとめ

8月24日から始まる東京パラリンピック。

男女混合車いすラグビーで、男性のなかに女性がひとりいることがわかりました。そしていつも笑顔で楽しそうに車いすラグビーをしているのが印象的でした。

車いすになったきっかけは、大学時代のトランポリンで頭から落下して首の骨を折ってしまったことでした。それでも倉橋さんは落ち込んだりふさぎ込んだりすることなく、大学復帰に向かってリハビリを続けました。

そんな時に車いすラグビーに出会い、夢中になったということです。

とても生き生きとしてる倉橋さんの表情から、突然逆境に立たされたとしても気持ち次第で前向きに進んでいける可能性を教えられました。

今回は「倉橋香衣はどんな事故で車椅子に?ラグビーの紅一点でポジティブ」と題して、東京パラリンピックに出場する倉橋香衣さんはどんな事故で車椅子になったのか、またラグビーチームでは紅一点でとてもポジティブな精神の持ち主であることをお伝えしました。

 

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