超スローボールが話題に!元メジャーリーガー多田野数人の経歴まとめ

超スローボールが話題に!元メジャーリーガー多田野数人の経歴まとめ

メジャーリーグに挑戦したプロ野球選手の中でも異色の経歴を持つ多田野数人さん。山なりの軌道を描く独特なボール、「超スローボール」の使い手でもありました。

今回は多田野数人さんの経歴について紹介します。

目次

多田野数人のプロフィール

  • 名前:多田野数人(ただのかずひと)
  • 生年月日:1980年4月25日
  • 年齢:43歳(2023年5月現在)
  • 出身地:東京都墨田区
  • 出身校:立教大学

多田野数人の経歴

立教大学で大活躍

八千代松陰高校では地方大会のチーム打率.196だったチームを甲子園に導く活躍を見せた多田野数人さん。

高校卒業後は立教大学に入学し、一年秋時にチームの主力としてリーグ18季ぶりの優勝に貢献しました。3年春はリーグ最多投球回ながら防御率0.91の成績でベストナインに。大学通算56試合で20勝16敗、防御率は1.51で奪三振数は334という成績を残しましたよ。第1回世界大学野球選手権ではチームの3位に貢献しました。

右の多田野、左の和田

いわゆる松坂世代の多田野数人さん。全日本選抜でチームメイトになった和田毅選手とは現在も親交がある仲のようで、当時も「右の多田野、左の和田」と並び称されるほど、共に高い注目を集める存在でした。

2002年のドラフト会議では当然上位指名を確実視されていた多田野数人さん。しかしスキャンダルが発覚した影響で一転、同年に日本球界の指名を受けることはありませんでした。

渡米し、21人目の日本人メジャーリーガーに

その後、多田野数人さんは渡米、メジャーリーグ球団の入団テストを受けることに。テストを行いながら獲得を見送る球団もあったものの、クリーブランド・インディアンスの入団テストに合格し、2003年はAからスタートして3Aまで上り詰めました。

2004年4月24日に日本人として21人目のメジャーデビューを果たし、7月2日にメジャー初先発、初勝利を記録しましたよ。

メジャー通算15試合登板

メジャーリーグでは2004年に14試合、2005年に1試合登板(うち先発登板4試合)した多田野数人さん。2006年4月1日にインディアンスから戦力外通告を受けると、その三日後にオークランド・アスレチックスとマイナー契約を結びメジャーへの挑戦を続けました。

2006年から2007年にかけてマイナーリーガーとしてメジャー昇格を目指した多田野数人さん。しかし、遂にメジャー復帰は叶いませんでした。一時は四国アイランドリーグの徳島インディゴソックスにスポット参戦することもありましたよ。

ファイターズからドラフト1位指名

日本球団を経由せずにメジャーに挑戦する形となった多田野数人さん。2007年のNPBドラフト会議で北海道日本ハムファイターズから外れ外れ1位という形だったものの1位指名され、NPBで再出発することとなりました。海外でのプレー実績があったことから、ドラフト新人としては異例の推定年俸3000万円(契約金は6000万円)での契約となりましたよ。

ファイターズ入団後数年は苦戦が続く

ドラフト指名後の2008年1月6日にランニング中の転倒で左手首骨折、前途多難のスタートとなった多田野数人さん。5月2日に初先発し7回1安打無失点と貫禄の登板で初勝利し、その後もローテーション投手として前半戦だけで6勝を挙げました。しかし後半戦は絶不調で、最終的に先発として19試合に登板し7勝7敗防御率4.78という成績に終わりました。

2009年は13登板、先発12登板で5勝5敗防御率5.76、2010年は体調不良もありわずか2試合の登板となりましたよ。

一時は戦力外通告も

2010年シーズン終了後に戦力外通告を受けるも、最終的にファイターズ再契約となった多田野数人さん。2011年はリリーフとして19試合に登板、重要なポジションでの登板は少なかったものの34.1回を投げ防御率3.15と成績は大分良化しました。

2012年シーズンは18試合登板、うち17試合で先発し、963日ぶりの勝利投手にもなりました。ローテーションに名を連ね6勝5敗1ホールド、防御率は3.70と復活を印象付ける年になりましたよ。

2014年にファイターズ退団

しかし、2013年は4試合、2014年は5試合登板に留まり、同年にファイターズから戦力外通告され、退団することとなりました。

2015年からは独立リーグであるベースボール・チャレンジ・リーグの石川ミリオンスターズに投手コーチ兼任で入団、プレーし、2017年に現役を引退。以降はファイターズでスカウトやコーチとして活躍されています。

超スローボール

多田野数人さんの代名詞が「超スローボール」。大きな山なりの孤を描く、60キロから70キロのスローボールで、スピードガンでの計測が出来なかったこともある、正しく「魔球」です。この球を投げる回数は少なかったものの、被打率は非常に低い球となっていますよ。

「ただのボール」「イーファスピッチ」などとも呼ばれ、メジャーの舞台でこの球でアウトを取ったこともあります。現在は、ファイターズの伊藤大海投手が同様の球を時折実戦で使用していますよ。

最後に

今回は多田野数人さんの経歴について紹介しました。

数奇な野球人生を辿った多田野数人さん。これからも野球にかかわり、活躍を続けていくことでしょう。

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