【小林照子】インスタライブをする83歳!波乱万丈の幼少期を経験

小林照子さんは、85歳ですがとても肌が綺麗で、メイクアップの第一人者です。

コーセーで女性初の取締役に就任し、美容業界歴は63年になります。

第一線で仕事をしてきたというのもすごいですが、85歳でインスタライブをしちゃうところも尊敬です。

小林照子さんは幼少期に大変な経験をしたようです。それが人生に少なからず影響をしている気がします。

今回は「【小林照子】インスタライブをする85歳!波乱万丈の幼少期を経験」と題して、小林照子さんが85歳でインスタライブをしてしまうほど活発な女性なのは、波乱万丈な幼少期を経験したからではないかというお話をしたいと思います。

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目次

【小林照子】インスタライブをする85歳!

小林照子さん、とっても肌がお綺麗で85歳とは思えません。

お仕事も精力的にこなしていて、著書も16冊出しておられます。

そしてこちら、普段からインスタグラムをしておられますが、インスタライブもおこなっています!

 

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. 2020年度、最初の授業は リモートオンラインで 小林照子学園長の特別授業を実施! 技術者としての入口に立ち、 メイクアップアーティストとして 「なに」を学んでいかなくてはならないか 美容業界の草分けでありながら、 現在も最前線で 自らの能力に挑み続けている先生に 直接お話しいただける 大変貴重な授業でした! 初めての授業に緊張しながらも 生徒たちは皆、真剣に受講していました。 フロムハンドの生徒だからこそ聞ける 貴重なお話しです!! . . . __________________ . . . 感染症の影響を受け オンライン授業への切り替え、 そして普段の授業も しっかり換気、 定期的なアルコール消毒、 手洗いうがい、 フェイスシールドの使用、 マスク着用、などなど… . . . 今まで通りの授業を行うのはなかなか難しいですが コロナ対策をしっかり行い 全員で協力しながら 日常を取り戻して行きましょう! #フロムハンド#フロムハンドメイクアップアカデミー#fromhand#fromhandmakeupacademy#makeschool#メイクスクール#make #hair#Creation#beauty #メイク#ヘア#クリエイト#美容#Tokyo#Harajuku#Shibuya #東京#原宿#渋谷#followme#オンライン授業#小林照子#美容家カオリクドウ

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インスタライブをすることになったのは、感染症の影響を受けてオンライン授業に切り替えたからだということです。

環境や世界情勢に沿った行動ができる、この柔軟性がすごいですね。

初めてのことに挑戦するって何歳でもドキドキしますが、好奇心旺盛な小林さんはどんなことでも「大変」「つらい」などと言わず、楽しんでいるようです。

小林照子さんは、日々の暮らしはその人の心の持ちようで変わると言ってます。

毎日というものは、本当にそのひとのこころの持ち様によって変わってきます。つまらないと思えば、どんなことだってつまらないでしょう。でも同じことでもおもしろいと思えばいくらでも、そこにおもしろさは見つけられるはずです。

毎日を、ふてくされて生きるのか、それとも笑って生きるのか。

同じ時間を生きるのであれば、笑って生きるほうが楽しいに決まっています。

そう思いませんか?

https://dot.asahi.com/dot/2020012000007.html?page=3

どんなことでも面白いと思えば面白くなる。

そんな姿勢が、素敵な笑顔と年齢を感じさせない若々しさの根本になっているようですね。

サク
サク

見習いたいです!

 

波乱万丈の幼少期を経験

Bessi / Pixabay

小林照子さんには、母親が3人、父親が2人います。

生みの母親とは、3歳のときに離れ離れになっています。両親が離婚し、照子さんは父親に引き取られたからです。

その後お父さんが再婚して、その再婚相手が2番目の母親になりました。

時代は戦争の真っただ中でした。戦争はどんどん激しくなっていき、そんな中お父さんが体調を崩して照子さんが小学1年生のときに亡くなってしまいます。

大人たちが話し合った結果、照子さんは継母の兄夫婦のところにひきとられました。

その後も戦争は激化し、東京は焼け野原に。

東京に住むことができなくなった一家3人は山形に疎開することになりました。

1945年、終戦を迎えましたが小林さん一家は東京にあった家を失い、もう帰ることができなくなりました。

そのまま山形での生活を続けることになります。

そんな中、養母が病気になってしまいます。

養父は養母の看病のため、働くことができなかったので、小林さんが稼ぐしかありませんでした。

学校から帰ると近所の農作業を手伝い、お味噌やお米をもらい、家の庭では野菜を育てていたそうです。

サク
サク

ご苦労されたんですねー

でも、小林さんはそれを苦労だとは思わずに、養父母の役にたてていることをむしろ嬉しいと思っていたそうです。

そんな姿勢が、生涯現役で働きつづける小林照子スタイルの原型になっているんですね。

1951年に養母が亡くなり、納骨のために東京に戻ったときに自立を決意します。

それからはバリバリ働くようになります。

結婚し、子育てをしているときのエピソードも興味深いものがありました。

それはまた別の記事でご紹介しますね。

まとめ

年齢など感じさせない若々しさと、素敵な笑顔の小林照子さん。

お肌や姿勢だけでなく、その生き方から私たちが学ぶものはとても多くあります。

年齢を重ねても美しい人の特徴はやっぱり芯のある生き方をしていることですね。

今回は、「【小林照子】インスタライブをする85歳!波乱万丈の幼少期を経験」と題して、小林さんがインスタライブをする柔軟性をもった85歳であることと、その幼少期が波乱万丈だったことをお伝えしました。

書籍、ぜひ読んでみたいと思います。

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