メリー喜多川はハーフ?戦前生まれの生い立ちや経歴をまとめてみた

メリー喜多川はハーフ?戦前生まれの生い立ちや経歴をまとめてみた 気になる人物

昨今、芸能界で相次いで告発が続いている性加害問題。直近ではお笑い芸人のダウンタウン松本人志や歌舞伎俳優の市川猿之助らが性加害問題の加害者だったのではないかと報道がありました。

そのほかにも2023年にはジャニー喜多川の性加害問題は被害者の告発も多数出たことによりジャニーズ事務所がなくなるなど世間に大きな衝撃を与えました。

今回は性加害問題の当事者であったジャニー喜多川の姉にあたるメリー喜多川について生い立ちや経歴、家族構成などについてみていきたいと思います。

メリー喜多川について

まず今回取り上げるメリー喜多川という人物についてプロフィールをみていきます。

メリー喜多川(本名:藤島メリー泰子)は1927年12月26日にアメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれました。ジャニーズ事務所の名誉会長やジャニーズ・エンターテイメントというレコード会社の代表取締役を務めるなど実業家として活躍していました。その名前からメリーさんという愛称で親しまれていましたが惜しまれながら2021年8月14日に93歳という年齢で亡くなりました。

メリー喜多川の生い立ちについて

前述のように、実業家としてジャニーズ事務所を支えたメリー喜多川の経歴についてみていきたいと思います。アメリカ合衆国のロサンゼルスで生まれたメリー喜多川は1933年に父親、母親、弟2人とともに日本にわたり大阪市で暮らしていました。しかし、日本に渡ってすぐに母親が亡くなってしまい、その後第二次世界大戦も始まるなど激動の時間を過ごしていました。メリー喜多川と弟たちは和歌山県へ疎開し、知り合いのつてで大阪松竹少女歌劇団に通うようになっていたといいます。そして1947年に2人の弟とともに改めてアメリカへ戻り、ロサンゼルス・シティー・カレッジを卒業、その後1957年に日本に再帰国しました。

実業家としてのスタート

日本に戻ってからはカウンターバー「スポット」を開業しました。そして弟のジャニーも実業家として1962年6月に芸能事務所「ジャニーズ事務所」を立ち上げると、メリーはバーを畳み、事務所の経理を担当するようになりました。その後ジャニーズ事務所の副社長を務めるようになってからは代表のジャニー喜多川に代わって会社経営の舵を取っていました。

晩年について

ジャニーズ事務所副社長として事務所を成長させ続けて支え続けていましたが、2019年7月にジャニー喜多川が亡くなったことを受けて代表取締役会長に就任しました。その後2020年9月4日付で代表取締役会長を退任し名誉会長となりました。

しかし、翌年8月14日に肺炎のため93歳という年齢で息を引き取りました。

家族構成について

ジャニーズ事務所を大成させ、様々なスターを誕生させてきたメリー喜多川の家族について迫っていきます。前述のとおり、弟が2人おりうち1人はジャニー喜多川です。

夫は東京新聞記者であった藤島泰輔であり、2人はメリー喜多川が開業したバーで出会ったといいます。その間にできた子供が現在SMILE-UP(前ジャニーズ事務所)の代表取締役を務める藤島ジュリー景子です。

また、メリー喜多川の父親は喜多川諦道で母親は喜多川栄子とどちらも日本人であります。

父親はプロ野球チームのマネージャーを務めていたこともあるそうで一家としてマネジメントや実業家としての才がある方が集まっているようです。

最後に

今回は性加害問題で昨年話題となっていたジャニーズ事務所に関連して、メリー喜多川についてその生い立ちや経歴などについて迫っていきました。まだ子供のころに大きな戦争を日本で経験しているなど多くの困難はあったかと思いますが、実業家として様々なタレント・アイドルを発掘するなど大きな成功を収めています。

今後はその地を継いでいる藤島ジュリー景子がどのような道を歩んでいくのか見守っていきましょう。

なお、エンタマルシェでも、気になる芸能関連の情報を配信中なので、興味のある方はチェックしてみて下さいね。

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